幽谷霧子の筆圧は強くない
こんにちは。幽谷霧子の兄です。
妹の霧子がいつもお世話になってます。
さて、シスコンの私がいつものようにパブリックサーチしていたところ、霧子がシャープペンシルではなく鉛筆を使っていることが話題になっていました。
筆圧が強いのでは?という意見を見たのですが、本当にそうでしょうか?
献身的で、心配性で、感受性が豊かで…
きっと霧子は、他の人よりも『敏感』なんだと思います。変化や痛みに鋭敏で、だからこそ様々なモノに感情移入ができる。
話を戻しますが、霧子が鉛筆を使っている理由は、単に「鉛筆の方がシャーペンより芯が折れにくいから」ではないでしょうか?
「筆圧が強いのでシャーペンの芯が折れやすい」ではなく、「芯が折れることに敏感だから、折れやすく感じてしまう」のでは…
ここからは別の視点での意見です。
霧子は鉛筆にもシャーペンにも「さん付け」をしてませんでした。私の予想ですが、鉛筆にはさんをつける時とつけない時があるのではないかと考えています。「人間」のように、一括りに分類するときには「鉛筆」、一本一本の個別のものには「鉛筆さん」。もっと言えば、使い始めたばかりのものは「鉛筆」、毎日使い次第に短くなっていくものは「鉛筆さん」。
この考え方だと、ずっと使っているシャーペンも「シャープペンシルさん」と呼ぶようになると思われます。ただ、鉛筆は本体ごと新しいものものに取り替えますが、シャーペンは本体がそのままで芯を追加することになります。シャーペンの方が愛着が湧きやすいのです。
ただ、愛着が湧いたシャープペンシルさん、いくら優しく書こうとしても、芯が折れてしまうのです。いくら芯が折れても、同じ本体をしばらくは使い続けなければいけないのです。大事にしているシャープペンシルさんの身体の一部が綻ぶ様子を見ていられない、そう考えたのではないでしょうか?
鉛筆さんは別れることが前提に作られている。だからこそ芯が折れることも物語の一部となる。そして最後の最後まで使い、短くなった鉛筆さんとお別れする。
つまり、シャーペンには終わりがないが、鉛筆には一期一会がある、だから鉛筆を使っているのではないかと…
「折れやすいから」という点から飛躍しすぎた考察かもしれないですが、あくまで一個人の意見として受け止めていただけると幸いです。
以上、霧子の兄でした。もし私にCVがつく時が来たら、関俊彦さんでお願いします。
【おまけ】
先日実装されたサンセットスカイパッセージ。
赤橙黄緑「霧」藍紫
青ではなく、霧になっているんですよね
「死は青い光を放つ」なんてことを耳にします。「死」、つまり厄災を霧子が遠ざけてくれている、ということなんですかね。だったら嬉しいな。